コロコロ VS 抜け毛

「人生とは自分自身との終わりなき闘いだ」なんて思っちゃいるけど性根がヘラヘラしている小市民の雑記ブログです。

【お笑いエッセイ】遠くの親戚より近くの他人

 

 遠くの親戚より近くの他人という諺がある。
 これはわかりやすく文字通りで、いざというときに頼りになるのは、遠くに住む親戚よりも近くに住む他人の方だ、と示唆しているものだ。
 なるほどそうかもなと思わせられる。
 今日の日本においては、ネットの台頭~普及をはじめ、あらゆる流通・利便性が高まっているので、近くの他人より遠くの親戚の助けで充分な場面もあるとは思う。
 しかしやはり、病気や怪我、災害に見舞われた際などは、近隣の人間の力を頼る方が、事は早いだろう。
 ……とまあこの諺の話はこの辺で。
 実は前々から、私はこの諺に近いとも言えなくもない考えをもっていた。諺を主題にもってきた自分が言うのもなんなんだが、会ったことも見たこともないどこかの誰かが言った(かどうかも疑わしい)言葉に何をほだされとるんだ、というものだ。
 それは日本人でなく外国人の言葉であれば尚更、時代も古きに遡れば遡るほど、この思いは強くなる。
 学校の教師、部活動の顧問、塾の講師、会社の上司、顧客……なんだっていいが、目上の者がつらつらと講釈を垂れる際、彼らの「ここだ」というタイミングで、偉人の名言なんかを差し込んできたりするが、あれはなんなんだろうか……。
 ──勝利をおさめた試合後、ロッカールームで歓喜に沸くチームメイトたち。
 ユニフォームを脱いで上半身裸のまま騒いだりふざけたりしている中、気難しい表情で遅れてやってくる監督。
「いつまで浮かれてるんだオマエら!」
「……!!」
「もうその辺にしておけ」
 静まる部員たち。
「……(ハァまったく)。よし、まずは今日の試合、よくやった。よくがんばったな」
 パァァッ
「だがっ」
 ビクゥッ
「まだ初戦を突破しただけだろう。それなのにオマエらときたら……ったく、優勝したみたいに浮かれやがって」
 ショボンとする部員たち。
「いいか、今日の試合は確かによかった。とくに攻撃陣は機能していた。だが一方、ディフェンス面で課題も残った。オマエら自身わかってるよな? リードしたあとの試合運び、そこがまだまだだ。DFだけのことを言ってるんじゃないぞ? 前線からの守備が大切なんだといつも口酸っぱく言ってるだろう。守るときは全員守備、ここの意思統一が残念ながら今日もできていなかった。だから不用意な失点もしてしまった。……山田、聞いてんのか!」
「ウス」
「……というわけでだ。今日の勝利はもう終わったことだ。気持ちを切り替えて、次の試合までに課題を修正していかなけりゃいけない。今日のような試合運びをしてるようじゃ、次の相手には勝てんぞ」
 ぽつりぽつりと、ハイという小さな声。
 クイっと顎で指す監督。
「よし。おい吉岡、キャプテン、締めろ」
「ウス」チームメイトに向き直るキャプテン。「オシ、今日はみんなよくやったー、でも監督の言うとおりー、まだ初戦突破だしー、次の試合は三日後ー、たぶん鹿児島が勝ち上がってくると思うしー、今日のようにはいかないと思うしー、気持ち切り替えてー、がんばっていこー」
 オォウ!
「オシいくぞ!」
 オッ!オッ!オッ!オッ!オッ!オッ!オッ!オーーーーゥッ!
 腕組みしながら頷く監督。そして一歩踏み出し、ここでキメの一言。
「シェイクスピアの言葉に、こういうのがある──
 監督に向き直り、続きを待つ部員たち。そして放たれる金言。
「『安心、それが人間の最も近くにいる、敵である』」
 ……いやはや長い妄想にお付き合いいただいたが、この最後のコレ、コレである。私が言いたいのは。
「えっ……シェ……シェイクスピアさんが、そんなことを?」
 とはなるまい。
 シェークスピア。凄い人なのだろうが、言ってみれば400年くらい前の、とある一人の外国のオッサンだ。そんな彼が言ったことを、いつだかわからない昔の日本のとあるオッサン(かオバチャン)が訳した言葉である。先述の例は要するに、
「おい油断すんなよ足元すくわれんぞ」
 という意味合いなわけだが、このような言葉はこのシェイクスピアの言葉以降およそ400年間で、世界中のあらゆる人において800億回くらい放たれた言葉ではないだろうか。さらにもちろん、シェイクスピアが考え発する前までの歴史においても散々言われてきた言葉・考え方であろうと思う。
 にもかかわらず、なぜシェイクスピアの言葉をチョイスして有難がるのだろうか。
 私は、諺や格言・名言、詩に至るまで、そういった類のものを非難・否定するつもりは全くない。芸術・学問的見地からしてもとても意義や価値のあるものなのだろうし、私自身どちらかというと(詳しくはないが)好きな方かもしれないと思っている。
 言いたいことは、引用した主題の諺に遡る。
 相手を思って放つ言葉は、着飾る必要はないということ。そしてあなたのためになる考え方や言葉は、身近にもきっとあるということだ。
 その昔、私の母がガンを患ったときのこと。これからどうすれば…と嘆く母に、母の友人がこう言った。
「あたし医者じゃないしよくわからないけど、今までの生活が今の病気のあなたを作ったんだから、今までと真逆の生活を送ってみたら?」
 母からのまた聞きだが、この言葉にはハッとさせられた。
 根拠がないだとか、真逆とは極論・暴論だろうとか、野暮なつっこみはいらない。これは友を想う至言であると私は思う。
 母を救ったのは、いつかのどこかの誰かが言った言葉の意訳などではなく、近い友人の励ましだったのだ。
 繰り返すが、私は二者択一を論じてるわけではない。
 近いものに目を向け、耳を傾け、大切にしていこうということである。

 

 


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